TweetとNoteのあいだ

日記の亜種

2022-01-01から1年間の記事一覧

2022:旅から戻る

心理学かなんかを基に、人間をタイプ別に分ける診断みたいなやつがここ数年また流行ってるっぽいけども、僕にとっては今のところ「目に見えるものを大事にする」のか、「目に見えないものを大事にする」のか、の2種類だけで十分なように思える。前者は「具体…

失恋ソングの聴き方

スマホって便利ですね。出先でこうしてブログを書けるなんて。……とか今さらすぎることを思うのは、今日、かつてのアメーバブログ時代の友人と会ったからでしょうか。 あの頃、まだガラケーしか持っておらず、外ではネットを存分に使えなかった。デジカメで撮…

空談

11月27日 誰かと○○について喋りたい、という欲求がほとんど消えていることに気が付く。 喋ったところで、分かり合えない、ということが分かるだけだから。 その結論を回避できる喋りかたというのもあるにはあるが、まあ疲れる。 疲れることもしたくない。 あ…

空洞たち

誰かへの批判とかじゃなくて、単に俺はこう思う、って話。 SNSでもリアルでも、楽しかったことだとか幸せなことだとか、そういうのを他人に発信している人の姿を見ると、僕はもうたまらなく切なくなる。そして、健気だな、えらいな、とも。 だって、どこかに…

賢さ及びそのどうでもいい複雑さについて

世の賢い人ら曰く。たとえば「世間のふつうの人たち/ふつうじゃない私」のように、人間をふたつに分類するのは単純すぎると。 これはコンテンツの構造の話でもある。いわゆる純文学と言われるような小説や、それに類する映画なんかでは、上のような二分法を…

カジュアルなぼやき

重要な話だとか正しい話なんてのは、要するに分かる人にしか分からないんだから、そう簡単に言葉にしちゃいけない。百も承知なはず。「分かってくれるに違いない」ではなく、「『きっと分からないけれど、しかしそれでいいんだ』ということを分かってくれる…

二〇一九/口八丁

2019年以降を自分の晩節と呼ぶことにした。決めた。今後あらゆる自分はこの決定に従ってほしい。ここから書くものはすべて晩年の記である。もう誰も自分になにかを期待しないでほしい。能力があるとか言わないでほしいし、何を書けとも言わないでほしい。読…

呼吸の断片

したたかに、なんてやれる筈もない。勝ちを見据えて駒を動かそうとは見当もつかない。だから駄目なのだとお思いだろう。が、所詮あと数十年ほどの花の生涯、そうまでする価値を見出せようか。世渡りは皆目わからず仕舞い、そんなこんなで幕を引ければ万々歳…

滂沱、散々、枯散文

大河ドラマ、壇ノ浦の戦いについて語る人たちのツイートを見ながら、人の命が軽い時代、なにかを守りながら散っていける合戦、そんなの上等じゃないか、うらやましい、平重盛のごとく疾く死なばや。と思ってしまう程度には、全部どうでもいいな、と投げやり…

星座たちが目に染みる

いっけん関係のないいくつかの事柄が、あたかも関係があるかのように見えてしまうことがある。あるいは、あたかも関係があるかのように見せてしまうことだってできる。 人はそれを批評と呼ぶ。 人はそれを陰謀論と呼ぶ。 人はそれを知と呼ぶ。 人はそれを詭…