TweetとNoteのあいだ

日記の亜種

2022:旅から戻る

心理学かなんかを基に、人間をタイプ別に分ける診断みたいなやつがここ数年また流行ってるっぽいけども、僕にとっては今のところ「目に見えるものを大事にする」のか、「目に見えないものを大事にする」のか、の2種類だけで十分なように思える。前者は「具体性」、後者は「抽象性」と言い換えてもいい。

 

いや、別にわざわざ強いて分類をやりたいわけじゃない。明確にスパッと分けられるとも思ってない。でもやっぱり感覚的に、どうしたって、突き詰めると2種類になってしまうんじゃないのか?という疑いがここ1年ほどずっと消えない。

 

「地獄はここ(頭の中)にあるんです」と、伊藤計劃の小説のあるキャラが言っていた。13歳くらいでそれを読んで以来、僕はたぶん「なら逆に楽園だって頭の中にあるだろう」とか思っていて、未だにそれを追っているような感じがする。ほどほどにしなきゃいけないんだけども。

 

で今年は特に、頭の中だけですべてが展開していた。だから「旅から戻る」といっても、地理的に遠いところには全然行ってない。関東平野のなかをグルグル、ウロウロはしたけれど、もしかして関東の外には行ってないんじゃないかな。せまっ。

 

代わりに、今までは見てこなかったような本や雑誌を読んだり、サイトや配信番組にアクセスしたり、というのを集中的にやった1年ではあった。その成果がnoteに挙げた「あいけ式ベストハンドレッド」。あっちのほうにも書いたけど、まあー疲れた。同じくらい面白かったのも間違いないけど。

 

あのnoteってつまり何かというと、いろんな情報を参照し、まとめた上で、自分なりの視点と意見を入れて編み直す、みたいな作業。情報なので、「目に見えないもの」の典型。

 

なんで2023年は、なんもしない、ということでいこうかと思う。なんもしないって言うと語弊があるか。つまり「目に見えるもの」のことをちょっと考えようと思う。それを「なんもしない」と呼んでしまうこと自体が若干あれかもしれないけども。

 

具体的には、新しい情報だったり、リアルタイムの動きについていくのではなく、いったん身の回りの基盤を固めた上で、かつて自分が傾倒したものについて色々考えてみたい。伊藤計劃なんかもその一例。

 

でもなんだか来年はとても楽になる予感がする。なんでかというと、今年情報をかき集めようとしたことによって、逆に、「情報なんて所詮インプットには限界がある」とか、「本なんてどうせ読み切れない」とか、いろんなことを適当に諦める気構えがちょっと整ったから。情報を取り入れなくても生きていけるし、本を読まなくても生きていけるし。

 

というわけで、2023年のテーマのひとつは「無」です。無であろうとしていりゃ、どうせそのうち飽きて色々やり始めるので、まあのんびり参りましょう。