いっけん関係のないいくつかの事柄が、あたかも関係があるかのように見えてしまうことがある。あるいは、あたかも関係があるかのように見せてしまうことだってできる。
人はそれを批評と呼ぶ。
人はそれを陰謀論と呼ぶ。
人はそれを知と呼ぶ。
人はそれを詭弁と呼ぶ。
人はそれを星座と呼ぶ。
人はそれを物語と呼ぶ。
呼び方は好きに選んでくれて構わない。なんなら就活生がやっているあの「自己分析」ってやつも、要はそういうことだと思う。
どうしようもなく、「見えてしまう」ことがある。別にオカルトではない。バラバラだと思っていたパーツのあいだにじつは一本の軸が通っていたのが分かってしまう、というほどの意味だ。
たとえば自分の好きなコンテンツとその楽しみ方について、幼少期から、今に至るまで振り返る。
するとそこにはほとんど必ず、感傷的なダンディズムと、ロマン主義的なヒロイズムの問題系が刻印されていることが分かった(詳しくは別の機会に譲るけど、たとえばモンハンで頑なにガンランスを使っていたことなんかもそれに当たる)。
さらにそれは、現実の自分の生き方すらも規定してしまっている。嫌になりそうだ。というかすでに嫌になっている。本当はもっと1本の軸なんてない、バラバラな生き方がしたかった。……いや、じつはそれだって「軸がない」という軸が存在してしまっているわけだけど。なにやらポストモダンみたいな話になってきてしまった。
なんにせよ、どうあがいても、その軸はもうすでにあるわけだ。
逃れられないんなら引き受けるしかない。じゃあどう引き受けるか?って話になる。そっから先はまだ考えてない。
そういえば理科の時間、天体の分野はサッパリ分からなかった。べつに星座なんて知らねーよ、星なんてバラバラなんだからこじつけじゃん、と毒づいていた。
今はその星座が恨めしい。さっさとぜんぶ爆発とかすればいいのに、と思う。