生きていく勇気、というワードが不意に響いて自分の心を乱暴に撫ぜた。部屋でひとり、ドラマ『35歳の少女』を観ていたときのこと。観ていると思わず人生やめたくなってしまうような危うい魅力がこのドラマにはある。
生きていく勇気。失って久しい。いや久しくはないのか。ここ最近か。わからない。どっちでもいい。みんながスマホを見て俯く街中で、とにかくその勇気ってやつがどっかから降ってきやしないかと、信号を待ちながら空ばかり見る。
今日の空も青くて綺麗だった。ムカついたし悲しかった。晴れた空とは仲良くできない。もしかすると、仲良くできていた頃もあったのかもしれない。だとしたらもうその頃のことは思い出せなくなっている。
SNSやテレビの画面は、誰かにとっての楽しいこと、嬉しいこと、きれいなもの、で満ちている。雲の上。幸せそう。幸せならいいんじゃない?よかった。
人生は素晴らしいだとか毎日楽しいだとか言えば、あからさまにウソになる。けれどもこの憂き世全体から見て、自分の今いる環境が恵まれていないと言ってもウソになる。そのあわいをつかまえる言葉は見つからない。エロスとタナトスの狭間。そういうのはいつだって高橋優が歌ってくれている。
鳴り止まぬ鼓動にその意味を見出せないままに
僕らは明日へ踏み出す
幸福ならいつかきっと来るよって話をした後で
明日死んでもいいような気がしてる
鼓動は鳴り止まない。疲れた。こんなとき文学や哲学は俺を救ってくれるだろう。しかしまずそれらを引っ張り出す気力がない。じゃあ信頼できる誰かに相談すれば、適切なタイミングで優しい相槌を打ってもらえるだろう。しかしそもそもそんなことができるような人間ならここまで落ちてもいなかった。悲鳴をTwitterにばらまかずブログで燻ぶってるだけ、まだマシだと思う。
才能もなく、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、辛うじて生きている。若者にありがちな、太く短く生きたいなんて気概は持ちあわせていない。どうせ何年経とうが、辛うじて生き続けている。
ならばせめて誰かの足を引っ張らないように、どっか隅っこに挟まって、おとなしく口だけ開けて、雨と埃だけ食ってればいい。
あるいはこのクソみたいな世界の足を全身全霊で引っ張りながら、崖の淵まで逃げだして、まわりのものを全部掴んで、手放さないまま落ちればいい。
出典:久保帯人