↑みたいな、それ系のタグを使った遊びに参加できた試しがない。
Twitterを一番よくやっていた高校生のときから。
特に年末年始とかってそういうコミュニケーションが多い。
慣れ合いやがって、とか僕は悪態をついていたが、
実のところ、眩しくて見たくなかっただけである。
あのタイプの交流においては、
たぶん人の長所を書くのが基本だと思うんだけど、
要するに自分の長所なんてわざわざ探してもらうのが申し訳ない。
褒められるべき要素が自分にある、と信じることができない。
7年くらい経っても未だにこんな調子。
「他人の目線から自分のことがどう見えてるか」
これを知るのはとても大事なことだと思う。
社会のなかで生きてる以上、絶対的な自己なんてものは想定しづらく、
誰かと関わる中で出てくる相対的な自己こそがつまり「自分」だから。
僕はそういうのを知ろうとする勇気がない。
ほんとうに子供じみてんなー。
「人にどう思われてるのかを感じ取る」ことにおいて
ぶっちゃけ僕のアンテナはぶっ壊れている。
本当にわからない。
バカだと思われてるのか賢いと思われてるのかも分からない。
あ、何かの折にメッセージやリプライをくれたりとか、
そういう意味での好意はさすがに読み取れてるので、
そういった稀有な方はぜひとも安心してください。
(どっちかというと被害妄想ぎみなので、
生きていてすみません、というスタンスが基本ではある。)
まあしかし、褒めてもらうことに慣れていて
自信満々に生きてる人なんかに、
絶対負けたくはないですよねー。
そんな負のエネルギーが僕を動かしてる。
まだまだ手放すわけにはいかないので、
しばらくはこのまま生きていこうかと。
今回のこれ、まさにツイートとnoteの中間くらいな感じだなあ。