『シスター』という曲の歌詞をタイトルにした。
祈ることなら許される、というか、祈るくらいしかできないから。
世はウイルスに大きく動かされ、
「今」の延長線上にあったはずの「未来」の姿はどこかぼやけるようになった。
就活の時期と重なったり、生活環境が変化したり、
僕もたぶん人並みのしんどさを感じている。
いや、人並みなんて乱暴に言ったらダメか。
僕のしんどさは僕だけのもの、
あなたのしんどさはあなただけのものだ。
新しく、なおかつ重大なニュースが毎日入ってくる。
地球の回るスピードがやたら速く感じる。
ほとんどの出来事は自分と無関係に進んでいくんだなあ、と改めて思う。
その「無関係」具合、
言い換えるなら自分の圧倒的な「なにもできなさ」。
これが今の僕には一番こたえる。
例年9月に行われる母校の文化祭が早くも中止に決まったとかで。
いや、すでに知り合いもいないし、はっきり言って自分にはもう関係がない。
なのに必要以上にダメージを受けている。
子供っぽいと笑ってもらって構わない。
精神科医のフロイトが、文化とは「死の欲動(タナトス)」の抑制装置だ、というようなことを書いていた。
さすがいいことを言うと思った。
色々な文化が、一時的とはいえ奪われている今、
行き場を失った若きタナトスはどうなるんだろう。
自分がもし高校生であったなら、と考えるとちょっとね。
到底耐えきれる苦しみではない。
僕は彼らにかけるべき言葉を探そうと、想像の辞書をめくってみた。
が、あいにくそんなに高性能な辞書ではなかった。
確かに高校の文化祭だけじゃなく、
ライブや演劇や甲子園やコンクールや、いろんな催しが中止になっている。
生活や人権、命そのものが脅かされている人も多い。
それと比べると文化祭はちっぽけかもしれない。
けれど当然、人が抱いた悲しみの量というやつは、
たとえばビーカーに涙を注いだとしても比べられやしない。
もっとつらい人がいるんだから我慢しろと言われても、
君の悲しみは君だけのものだし。
僕の悲しみも。
そんなことを思いながら、どこかの方角へ向けて祈っている。
今の悲しみに見合うだけの喜びが、いつかあなたに注がれますように。
「あなた」が誰なのかは知らない。
特定の誰かに向けてじゃなく、ただなんとなく祈っている。
何のためなのかよく分からない。
ただそれしかできないから、そうしている。
これも、お前は何をやっているんだと笑ってくれて構わない。