TweetとNoteのあいだ

日記の亜種

道楽成らざる春近きや?

気がついたらもう夕方

そんな勢いの毎日を

なんか違うって

言うもんかって強がって

――DOES『ハッピー・エンド

 

そう、気がついたらもう夕方だった。もうすぐ目を閉じたほうがいいらしい。どうか憐れまないように。あの桜のようにはいかない。散っても二度とは咲きやしない。

 

イムリミットは残りわずか。浪人やら留年やらで、世の学生の平均よりは長いモラトリアムではあるにせよ……というか、そもそもモラトリアムとか言ってほしくない。「社会人」になってからが本番で、そこからは真剣な顔をしなきゃいけなくて、それまでは単なる遊びの期間だなんて、どうしてそんなつまらないことを言うんだろう。

 

言いたいのだ。夢見がちだと言われようと、現実を知らないだけだと蔑まれようと、「いつまでだって遊びじゃないか」と。

 

「社会人」のスタートを船出に喩える人がいる。けれども、いまの自分の感覚を素直に述べるならば、暗い海底から伸びてくる手に掴まれながら、その沈む速度をゆるめるために必死で手足を動かしている感じ。暗すぎるとか言われても、実際にそうなんだから仕方がない。

 

社会的な地位や名声なんて得られやしないだろう。輝かしい前途も待っていないだろう。金にものを言わせたハイグレードな暮らしなんて言わずもがな、できないだろう。

 

高級な食糧、絢爛な衣、豪華な庵、祝祭、祝祭、祝祭、煌々たる出会い、目まぐるしい充実。そういうのは君らで勝手にやっててくれ。どうやらゲームのルールが違う。なにもかも違う。そんな明快なゲームには乗れない。こっちはこっちで——勝ちとか負けとか、対決とかサバイバルとか、そういった舞台の軸自体を揺らがせたいのだ。舐めないでほしい。

 

……と、言い放つばかりの高飛車大口。でもそのための力がまったく足りない。まあひとことで言えば、焦っている。やり残したこと、やるべきことがまだまだたくさんある。

 

けれども一方、それでいいとも思っている。焦るからこそできることがあるはずだから。心を燃やせ、歯を食いしばって前を向けと、ある炎の男が言っていた。自分にとっては今がそのときなのかもしれない、とか思う。この一ヶ月間の晩年のために。

 

焦燥の煙が目に染みる。こすった赤い目が痛み出す。そうして失う水分を、地に還るばかりの一滴を、陽気に利発に慈しむ。俺にできるのはせいぜいそんなことくらいだし、これからもきっとそうだろう。

 

何はともあれ空元気、自分に喝采、さあご一緒に。

 

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