今日も惨めに探している。体と心をこの現世に繋ぎとめるもの。
呼吸が止まる。ひとときの救いで息を吹き返す。その繰り返しで永らえる。
繋ぎとめるものは何だろう。自分の力ではどうしようもないゲーム。初めから幕が引かれようとしている舞台。かの崇徳院に比してことさら自由だとも思えない、先の見えない川の濁流の奥深く。
倫理の話をする批評なんて退屈。思い返す。いつだって僕がしているのは救いの話だけだった。僕ら、という複数形の主語を隠れ蓑にして。
だから曽根崎心中は好きだ。近代人の作り上げた綿密な心なんてものに惑わされず。血染めの悲恋を、あろうことか救いの物語に読み変えて。
――"まさに極楽浄土から、いま目の前にあらわれる、我らのための観世音!"
小説ならぬ音声芸術の一節を唱え唱えては、その日を今や遅しと待ちわびる。