TweetとNoteのあいだ

日記の亜種

或る現代人の内傷

先般、自分のやっている同人誌用にひとつの文章を書いた。その難物がどうも精神のうちのどこかに甚大な内傷を生じさせたらしく、あれ以来気分がすぐれない。気の落ちたときに書くことの多いこのブログですら、数日ほどのあいだは書こうとしても書けなかった。

 

始まったばかりの同人誌プロジェクトによって自分が一体何をやろうとしているのかに関しては、以後noteにでもなんでも書く準備があるのだが、とにかく、出力して手元を離れたはずの何かが、むしろ離れたがゆえに自己の臓腑を直截に突き刺してくることがある。

 

これを克服するには、次にまともなフィクションをやらねばならない。幸いか不幸か、ある講座の関係によって否が応でもやるべき仕儀にはなっているので、やることはやる。それができなかった時にこそ、ついに終わりの鐘が鳴るだろう。

 

それで次のためにいろいろ考えている。とかく「小説」なる概念はぬるく小綺麗な方向に解釈されがちであるので、人々の脳裏にまばゆい白熱光を刻む一撃を図っている。とはいえ科学的なことには明るくないし、倫理的な問題に抵触するのは面倒が過ぎる。論理と論理の隘路の果てに、何かが見つかればよいが、と思う。