TweetとNoteのあいだ

日記の亜種

世界を物語としてではなく生きるために

世界を、意味ある物語としてではなく、意味のない世界そのものとして、一度生きてみたい、と思っている。

 

物語、というと、一般的には小説や映画のような創作物が想起される。

 

しかし僕はしばしば「批評や論文だって物語だ」と言う。こっちは理解されないことが多い。もちろん「フィクションのキャラがいて、世界観があり、話が進む」みたいな構造ではないから、そういう意味ではそりゃ別物だといえる。

 

ところが僕はたぶん、物語の定義をもっと広く捉えている。「因果の連なりこそが物語だ」と思っている。それで、この世界全体が、あらゆるものが、自動的に、物語に見えている。

 

なんでそれをやめてみたいのか。ひとえに疲れるからだ。

 

でも同時に分かっている。やめようと思ってやめられるんなら苦労していない。

 

小説をたくさん読んだり、ネトフリで映画やドラマをたくさん見たりするタイプの人というのはきっと「物語を欲している人」だ。僕もいろいろ見るほうではあるけれど、しかし残念ながら、物語自体を欲してるわけではない。べつに欲さずとも、すでにそこかしこに、あふれているからだ。不出来な物語たちが。

 

なら、どうやって折り合いをつけていこうか?